並木五瓶は(1747-1808)江戸時代中期の歌舞伎作者。
並木五瓶は大阪の劇場関係者の家に生まれ、20歳のころ歌舞伎作者を志して当時の人気作者初世並木正三のもとに弟子入りした。当初は並木五八と名乗っていたが、やがて五兵衛と名を改め、立作者として初世尾上菊五郎、初世嵐雛助(あらしひなすけ)らのために作品を書き、上方劇壇の第一人者となった。
93年、名を並木五瓶と改め、翌94年冬に3世沢村宗十郎とともに江戸に下った。合理的な構成による筋の運びと、写実的なせりふを江戸歌舞伎に持ち込んだ五瓶の作品は人気を得、3世宗十郎以外に、4世市川団蔵、5世松本幸四郎らと提携し多くの糺名作を世に放った。代表作としては、時代物の『天満宮菜御供(てんまんぐうなたねのごくう)』『桜門五三桐(さくらもんごさんのきり)』、世話物では『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』『隅田春妓女容性(すみだのはるげいしゃかたぎ)』など。
上方歌舞伎の新しい流れを江戸歌舞伎にうまく融合させた点で、並木五瓶はの功績は高く評価されている。また、1番目、2番目の狂言立てに、別名題をつけたのも五瓶が最初である。