伯爵土方久元の孫で、新劇研究のためヨーロッパ留学に出るが、1年目で関東大震災が起きたため帰郷。ヨーロッパで見た近代演劇の在り方をもとに留学費用の残りで小山内薫とともに築地小劇場を設立した。自らも演出家として劇場付属の劇団を指導するが、小山内の死後に劇団が分裂すると、新築地劇団を主宰した。
33年に外遊名目で舞台衣装家の妻うめこら家族とともに旅立ち、禁を犯してソ連での演劇国際会議に出席。そのままモスクワ市立革命劇場で働き、41年帰国と同時に逮捕、懲役5年の実刑を受け、その間は華族史上初の爵位はく奪という懲罰も与えられた。戦後は劇団に属さず、新劇の指導的立場で活動を続けた。
2009年5月11日
土方与志(ひじかたよし)